ラルフローレン (RALPH LAUREN)
の詳細情報Country国 | アメリカ |
---|---|
makerメーカー | ラルフローレン株式会社 |
other-maker関連メーカー | ミラリ ジャパン株式会社 |
QuestionRALPH LAUREN(ラルフローレン)とは
アメリカ・ニューヨーク出身のファッションデザイナー、ラルフ・ローレン(本名:ラルフ・ルーベン・リフシッツRalph Rueben Lifshitz)のブランド。
ラルフ・ローレンは、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブロンクス区に、1939年4人兄弟の末っ子として誕生。両親はロシア系ユダヤ人の移民。
ブルックス・ブラザースのネクタイ売り場を担当していた頃、彼のアイデアで始めた幅広ネクタイが大ヒットし、1967年、ポロブランドを設立。
当時主流であった幅の狭い、伝統的なスタイルに逆行し、従来ではあり得なかった鮮やかな色彩の贅沢な素材を使用して、幅広の手作りネクタイをデザイン。瞬く間に、ラルフ・ローレンのネクタイは男性のステータスを象徴するアイテムとなる。
ネクタイを通して豊かなライフスタイルを提案することを目指し、上品なエレガンスと伝統的なスタイルの象徴とも言えるスポーツ「ポロ」と同じ名前をブランドにつけた。
1968年、「ポロ・ラルフ ローレン」社を設立、コレクションを発表。
1969年、ニューヨークの高級デパート「ブルーミングデール」のテナントショップとして、ポロブランド最初のメンズブティックを出店。
1970年、メンズウェア部門でコティ賞(Coty Award、後に米国ファッションデザイナー協議会賞に名称変更)を初受賞。
1971年、初のレディースウェア発表。メンズ用のテーラードシャツを女性のための斬新なデザインに変身させた。
同時にポロ プレイヤーのロゴも誕生。当初は女性用のテーラードシャツのカフスに刺繍されていた。
ビバリーヒルズに初の路面店をオープン。ラルフ・ローレンは路面店を所有する最初のアメリカ人デザイナーとなる。
ラルフ・ローレン初のレディースブティックを、ニューヨークのブルーミングデールのテナントショップとして出店。
1970年代には、ダラス、ヒューストン、アトランタ、デトロイト、シカゴ、ソルトレークシティ、パームビーチ、フォートローダーデールなど、
全米各地に次々とポロショップをオープン。
1972年、ポロ プレイヤーのロゴが付いたポロオリジナルのメッシュシャツが、24色のバリエーションで登場。
スポーツウェアを含むレディースウェアのフルラインが、ポロの最初のレディースウェアファッションショーで発表。
女性用のテーラードスーツやシャツの斬新なコレクションが全米で注目を浴びる。
アクセサリー、靴、ボーイズウェア、フレグランス分野に進出。
1974年、映画「華麗なるギャッツビー」の男性衣装をラルフ・ローレンが提供。ラルフ・ローレンがギャッツビーのためにデザインしたピンクのスーツは話題をよび人気を集めた。
1975年、アメリカファッション賞(American Fashion Award)を受賞。1976年、メンズウェア部門で殿堂入り。レディースウェアでは、2度目のコティ賞を受賞。デザイナーが同じ年にメンズウェア部門とレディースウェア部門の両方で受賞したのは初。
1977年には、レディースウェア部門でも殿堂入り(Coty Hall of Fame)
映画「アニー・ホール」に衣装を提供。ダイアン・キートンが身につけたラルフ・ローレンの衣装は世界中の女性に一大ブームを巻き起こす。
1978年、ウェスタンウェアのメンズ/レディースラインを発表。
カウボーイに常に魅了され続けてきたラルフ・ローレンはウェスタンウェアコレクションの最初の広告キャンペーンに自らモデルとして登場。
ラルフ・ローレンブランドの最初の香水として「Polo for Men」と「Lauren」を発表。男性用と女性用の香水が同時に発売された例はこれまでになかった。
この頃、2人の息子のために買い物に出かけた妻が、「100%コットンの男の子用のシャツがないの」と言ったことをきっかけに、男の子用の服を作り始める。ポロ ボーイズ シリーズ発表。
1978年以降、ポロブランドのチルドレンウェアはガールズ、ボーイズ、インファント&トドラーの各製品ラインへと拡大。
1979年、20ページにもわたる広告を掲載。
1981年、ナバボ インディアンやアメリカ南西部の服飾の柄と色をモチーフにしたSanta Feコレクションを発表。
ロンドンのニューボンド ストリートに路面店をオープン。アメリカ人デザイナー初のヨーロッパ進出を果たす。
1983年、デザイナーとして初めて、インテリア全体をプロデュースするホームコレクションを発表。
1985年、テルライド映画祭とのパートナーシップを結ぶ。
1986年、マディソンアベニューと72ndストリートの角にあるラインランダーマンションを改装し、フラッグシップストアをオープン。ラルフ・ローレン自身が「世界で最も美しい店」と呼ぶ。
また、パリに最大規模のポロショップをオープンさせる。
1991年、ワシントンDCで年1回行われていたデザイナーズブランドのセール「Super Sale」をポロ・ラルフローレン社、ワシントンポスト紙、Vogue誌の協賛により開催。売上をNina Hyde 乳がん研究センターへ寄付。
Super Saleは1998年までの8年間、毎年開催された。
1992年、米国ファッションデザイナー協議会の最高の栄誉である4つの賞をすべて受賞。4賞すべてを受賞したのはラルフ・ローレンが初。
1993年、ポロスポーツラインを発表、同時に最初のポロスポーツショップをラインライダー店の向かいのマディソンアベニュー888番にオープン。
ポロスポーツはアメリカズカップに出場するアメリカチームの公式ウェアに選ばれる。
1994年、米国ファッションデザイナー協議会と共同で、乳がんに対する意識啓蒙を目的にFTBC(Fashion Targets Breast Cancer)を主催。
高級メンズスーツのブランドとして、ラルフローレン パープルレーベルを発表。最初の広告にはラルフ・ローレン自身が出演。
ホームコレクションに職人の手による精巧な家具や照明器具、カーペットなどが加わり、1995年、ラルフローレン ペイントコレクションを発表。
1996年、ポロ・ラルフローレン社とPolo Sport the Fitness Fragranceシリーズは、タイトルスポンサーとしてPolo Sport Race to Deliverイベントを主催。外出することもままならないHIV感染者などの重病患者のために、暖かい食事を届けるなどのボランティア活動を行っているGod's Love We Deliverを支援。現在も支援を続けている。
ポロ ジーンズ カンパニーから、若者向けのコンテンポラリー カジュアルウェア ラインを発表。
ポロスポーツラインよりレディースウェアが発売。
米国ファッションデザーナー協議会(DFDA)のウィメンズデザイナー オブ ザイヤー賞を受賞。
芸術および教育に対する貢献と乳がん撲滅運動における活躍により、ブランダイス大学より名誉文学博士号を授与される。
乳がん撲滅運動における先導的な活躍により、Nina Hyde 乳がん研究センターからヒューマニタリアン賞を受賞。授賞式ではダイアナ妃より賞を授与される。
1997年、米国ファッションデザイナー協議会(CFDA)の1996年メンズデザイナー オブ ザイヤー賞を受賞。
6月12日、ポロ・ラルフ ローレン社は、ニューヨーク証券市場に上場。
1998年、ポロ・ラルフローレン社はスミソニアン協会の国立アメリカ歴史博物館(ワシントンDC)に展示されている星条旗の保存のために、Save America's Treasuresキャンペーンに1300万ドルを寄付。
ポロスポーツは、テクニカルな機能を追及したスポーツウェア、RLXラインを発表。RXLラインは、究極の高性能・高機能スポーツウェアとアクセサリーを提供するライン。マウンテンバイクのワールドカップチームや、トライアスロンおよびスノーボードの全米/世界チャンピオンのスポンサーとなる。
1999年、レストラン事業に進出。RLレストランをシカゴのフラッグシップショップストアの隣にオープン。
10代後半から20代前半の女性を対象としたRALPHラインが発売。
ポロ・ラルフ ローレン社が、クラブモナコを買収。
ロンドンにフラッグシップショップとチルドレンウェアの路面店をオープン。
2000年、Webサイト「Polo.com」を開設。
ポロ・ラルフ ローレン社はボランティアプログラムを発足。
ポロ・ラルフ ローレン社は、500万ドルを投じて、ハーレムのNorth General Hospitalにがん予防および治療のための医療施設であるRalph Lauren Center for Cancer Prevention and Careを設立。がんに対する意識を全国的に高め、福祉の行き届かない地域でもより多くの人に予防・検診・治療の機会を提供し、がん治療における格差を是正することを目的に、9月のファッションウィーク期間にピンクポニーキャンペーンを実施。
ニューヨークに、ファッションデザイナーのプレートを歩道に埋め込んだウォークオブフェームが完成。最初のプレートにデザイン画をレリーフされるデザイナーの1人に選ばれる。
2001年、9月11日の同時多発テロの後、American Heroes Fundを設立。全世界のポロ・ラルフ ローレン社1万人の社員と顧客が、救済活動に参加する機会をもてるようにした。社員による救済活動への貢献をすべて金額に換算し、同額を支給。
Polo.com Magazine、Runway.Polo.comをWebサイトでスタート。
2002年、創業35周年を迎える。グローバルに展開し、売上100億ドルの企業となる。
RLHome.Polo.comがWebサイトでオープン。
レディースラインのBlue Labelコレクション発表。
RRL フラッグシップストアを、ニューヨークのマルベリー通りにオープン。
フレグランス「Polo Blue」発表。
2003年、各国向けのインターナショナルWebサイト「Global.Polo.com」開設。
米国内初のチャイルドショップをニューヨークのマジソン街にオープン。
7月、ホーム用のショップをロンドン、ニューボンドストリートにオープン。売場面積約350㎡の、ヨーロッパ最大のラルフローレン ホーム コレクション ショップ。
ニューヨークには、面積1,300㎡のインテリアデザインショールームをオープン。
8月より、Polo.comにて、ポロシャツ特注サービス「Create-Your-Ownポロシャツ」を開始。シャツとロゴの色を指定し、年度の刺繍が施される。
2004年9月、ミラノのモンテ・ナポレオーネ通りにフラッグシップストアをオープン。
10月、メンズとレディースのヤング(16~25歳)を対象としたトータルなライフスタイルコレクション「RUGBY(ラグビー)」を発表。10月23日、ボストンのニューベリー通りにショップ第1号店をオープン。
2006年3月29日、24,000sqftの広さを誇るラルフローレン本店が東京の表参道にオープン。ラルフローレンの全種類のデザインおよび商品はもちろん、気品のあるハンドバッグならびにアクセサリーといった限定品や限定コレクションも扱う。
2007年、モスクワにフラッグシップストアを2店舗オープン。
現在、アルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、ブラジル、カナダ、チリ、中国、フランス、ドイツ、イギリス、ギリシャ、香港、イスラエル、日本、韓国、マレーシア、メキシコ、クウェート、サウジアラビア、UAE、オランダ、オランダ領アンティル、仏領西インド諸島、フィリピン、シンガポール、スウェーデン、台湾、トルコ、ウルグアイの各国に展開。
ラルフ・ローレンは、アメリカ合衆国ニューヨーク州ブロンクス区に、1939年4人兄弟の末っ子として誕生。両親はロシア系ユダヤ人の移民。
ブルックス・ブラザースのネクタイ売り場を担当していた頃、彼のアイデアで始めた幅広ネクタイが大ヒットし、1967年、ポロブランドを設立。
当時主流であった幅の狭い、伝統的なスタイルに逆行し、従来ではあり得なかった鮮やかな色彩の贅沢な素材を使用して、幅広の手作りネクタイをデザイン。瞬く間に、ラルフ・ローレンのネクタイは男性のステータスを象徴するアイテムとなる。
ネクタイを通して豊かなライフスタイルを提案することを目指し、上品なエレガンスと伝統的なスタイルの象徴とも言えるスポーツ「ポロ」と同じ名前をブランドにつけた。
1968年、「ポロ・ラルフ ローレン」社を設立、コレクションを発表。
1969年、ニューヨークの高級デパート「ブルーミングデール」のテナントショップとして、ポロブランド最初のメンズブティックを出店。
1970年、メンズウェア部門でコティ賞(Coty Award、後に米国ファッションデザイナー協議会賞に名称変更)を初受賞。
1971年、初のレディースウェア発表。メンズ用のテーラードシャツを女性のための斬新なデザインに変身させた。
同時にポロ プレイヤーのロゴも誕生。当初は女性用のテーラードシャツのカフスに刺繍されていた。
ビバリーヒルズに初の路面店をオープン。ラルフ・ローレンは路面店を所有する最初のアメリカ人デザイナーとなる。
ラルフ・ローレン初のレディースブティックを、ニューヨークのブルーミングデールのテナントショップとして出店。
1970年代には、ダラス、ヒューストン、アトランタ、デトロイト、シカゴ、ソルトレークシティ、パームビーチ、フォートローダーデールなど、
全米各地に次々とポロショップをオープン。
1972年、ポロ プレイヤーのロゴが付いたポロオリジナルのメッシュシャツが、24色のバリエーションで登場。
スポーツウェアを含むレディースウェアのフルラインが、ポロの最初のレディースウェアファッションショーで発表。
女性用のテーラードスーツやシャツの斬新なコレクションが全米で注目を浴びる。
アクセサリー、靴、ボーイズウェア、フレグランス分野に進出。
1974年、映画「華麗なるギャッツビー」の男性衣装をラルフ・ローレンが提供。ラルフ・ローレンがギャッツビーのためにデザインしたピンクのスーツは話題をよび人気を集めた。
1975年、アメリカファッション賞(American Fashion Award)を受賞。1976年、メンズウェア部門で殿堂入り。レディースウェアでは、2度目のコティ賞を受賞。デザイナーが同じ年にメンズウェア部門とレディースウェア部門の両方で受賞したのは初。
1977年には、レディースウェア部門でも殿堂入り(Coty Hall of Fame)
映画「アニー・ホール」に衣装を提供。ダイアン・キートンが身につけたラルフ・ローレンの衣装は世界中の女性に一大ブームを巻き起こす。
1978年、ウェスタンウェアのメンズ/レディースラインを発表。
カウボーイに常に魅了され続けてきたラルフ・ローレンはウェスタンウェアコレクションの最初の広告キャンペーンに自らモデルとして登場。
ラルフ・ローレンブランドの最初の香水として「Polo for Men」と「Lauren」を発表。男性用と女性用の香水が同時に発売された例はこれまでになかった。
この頃、2人の息子のために買い物に出かけた妻が、「100%コットンの男の子用のシャツがないの」と言ったことをきっかけに、男の子用の服を作り始める。ポロ ボーイズ シリーズ発表。
1978年以降、ポロブランドのチルドレンウェアはガールズ、ボーイズ、インファント&トドラーの各製品ラインへと拡大。
1979年、20ページにもわたる広告を掲載。
1981年、ナバボ インディアンやアメリカ南西部の服飾の柄と色をモチーフにしたSanta Feコレクションを発表。
ロンドンのニューボンド ストリートに路面店をオープン。アメリカ人デザイナー初のヨーロッパ進出を果たす。
1983年、デザイナーとして初めて、インテリア全体をプロデュースするホームコレクションを発表。
1985年、テルライド映画祭とのパートナーシップを結ぶ。
1986年、マディソンアベニューと72ndストリートの角にあるラインランダーマンションを改装し、フラッグシップストアをオープン。ラルフ・ローレン自身が「世界で最も美しい店」と呼ぶ。
また、パリに最大規模のポロショップをオープンさせる。
1991年、ワシントンDCで年1回行われていたデザイナーズブランドのセール「Super Sale」をポロ・ラルフローレン社、ワシントンポスト紙、Vogue誌の協賛により開催。売上をNina Hyde 乳がん研究センターへ寄付。
Super Saleは1998年までの8年間、毎年開催された。
1992年、米国ファッションデザイナー協議会の最高の栄誉である4つの賞をすべて受賞。4賞すべてを受賞したのはラルフ・ローレンが初。
1993年、ポロスポーツラインを発表、同時に最初のポロスポーツショップをラインライダー店の向かいのマディソンアベニュー888番にオープン。
ポロスポーツはアメリカズカップに出場するアメリカチームの公式ウェアに選ばれる。
1994年、米国ファッションデザイナー協議会と共同で、乳がんに対する意識啓蒙を目的にFTBC(Fashion Targets Breast Cancer)を主催。
高級メンズスーツのブランドとして、ラルフローレン パープルレーベルを発表。最初の広告にはラルフ・ローレン自身が出演。
ホームコレクションに職人の手による精巧な家具や照明器具、カーペットなどが加わり、1995年、ラルフローレン ペイントコレクションを発表。
1996年、ポロ・ラルフローレン社とPolo Sport the Fitness Fragranceシリーズは、タイトルスポンサーとしてPolo Sport Race to Deliverイベントを主催。外出することもままならないHIV感染者などの重病患者のために、暖かい食事を届けるなどのボランティア活動を行っているGod's Love We Deliverを支援。現在も支援を続けている。
ポロ ジーンズ カンパニーから、若者向けのコンテンポラリー カジュアルウェア ラインを発表。
ポロスポーツラインよりレディースウェアが発売。
米国ファッションデザーナー協議会(DFDA)のウィメンズデザイナー オブ ザイヤー賞を受賞。
芸術および教育に対する貢献と乳がん撲滅運動における活躍により、ブランダイス大学より名誉文学博士号を授与される。
乳がん撲滅運動における先導的な活躍により、Nina Hyde 乳がん研究センターからヒューマニタリアン賞を受賞。授賞式ではダイアナ妃より賞を授与される。
1997年、米国ファッションデザイナー協議会(CFDA)の1996年メンズデザイナー オブ ザイヤー賞を受賞。
6月12日、ポロ・ラルフ ローレン社は、ニューヨーク証券市場に上場。
1998年、ポロ・ラルフローレン社はスミソニアン協会の国立アメリカ歴史博物館(ワシントンDC)に展示されている星条旗の保存のために、Save America's Treasuresキャンペーンに1300万ドルを寄付。
ポロスポーツは、テクニカルな機能を追及したスポーツウェア、RLXラインを発表。RXLラインは、究極の高性能・高機能スポーツウェアとアクセサリーを提供するライン。マウンテンバイクのワールドカップチームや、トライアスロンおよびスノーボードの全米/世界チャンピオンのスポンサーとなる。
1999年、レストラン事業に進出。RLレストランをシカゴのフラッグシップショップストアの隣にオープン。
10代後半から20代前半の女性を対象としたRALPHラインが発売。
ポロ・ラルフ ローレン社が、クラブモナコを買収。
ロンドンにフラッグシップショップとチルドレンウェアの路面店をオープン。
2000年、Webサイト「Polo.com」を開設。
ポロ・ラルフ ローレン社はボランティアプログラムを発足。
ポロ・ラルフ ローレン社は、500万ドルを投じて、ハーレムのNorth General Hospitalにがん予防および治療のための医療施設であるRalph Lauren Center for Cancer Prevention and Careを設立。がんに対する意識を全国的に高め、福祉の行き届かない地域でもより多くの人に予防・検診・治療の機会を提供し、がん治療における格差を是正することを目的に、9月のファッションウィーク期間にピンクポニーキャンペーンを実施。
ニューヨークに、ファッションデザイナーのプレートを歩道に埋め込んだウォークオブフェームが完成。最初のプレートにデザイン画をレリーフされるデザイナーの1人に選ばれる。
2001年、9月11日の同時多発テロの後、American Heroes Fundを設立。全世界のポロ・ラルフ ローレン社1万人の社員と顧客が、救済活動に参加する機会をもてるようにした。社員による救済活動への貢献をすべて金額に換算し、同額を支給。
Polo.com Magazine、Runway.Polo.comをWebサイトでスタート。
2002年、創業35周年を迎える。グローバルに展開し、売上100億ドルの企業となる。
RLHome.Polo.comがWebサイトでオープン。
レディースラインのBlue Labelコレクション発表。
RRL フラッグシップストアを、ニューヨークのマルベリー通りにオープン。
フレグランス「Polo Blue」発表。
2003年、各国向けのインターナショナルWebサイト「Global.Polo.com」開設。
米国内初のチャイルドショップをニューヨークのマジソン街にオープン。
7月、ホーム用のショップをロンドン、ニューボンドストリートにオープン。売場面積約350㎡の、ヨーロッパ最大のラルフローレン ホーム コレクション ショップ。
ニューヨークには、面積1,300㎡のインテリアデザインショールームをオープン。
8月より、Polo.comにて、ポロシャツ特注サービス「Create-Your-Ownポロシャツ」を開始。シャツとロゴの色を指定し、年度の刺繍が施される。
2004年9月、ミラノのモンテ・ナポレオーネ通りにフラッグシップストアをオープン。
10月、メンズとレディースのヤング(16~25歳)を対象としたトータルなライフスタイルコレクション「RUGBY(ラグビー)」を発表。10月23日、ボストンのニューベリー通りにショップ第1号店をオープン。
2006年3月29日、24,000sqftの広さを誇るラルフローレン本店が東京の表参道にオープン。ラルフローレンの全種類のデザインおよび商品はもちろん、気品のあるハンドバッグならびにアクセサリーといった限定品や限定コレクションも扱う。
2007年、モスクワにフラッグシップストアを2店舗オープン。
現在、アルゼンチン、オーストラリア、ベルギー、ブラジル、カナダ、チリ、中国、フランス、ドイツ、イギリス、ギリシャ、香港、イスラエル、日本、韓国、マレーシア、メキシコ、クウェート、サウジアラビア、UAE、オランダ、オランダ領アンティル、仏領西インド諸島、フィリピン、シンガポール、スウェーデン、台湾、トルコ、ウルグアイの各国に展開。
|
|
|
|